果樹(果物)農家を応援するホームページ
果樹苗木の生産・販売
株式会社吉岡国光園(苗木屋)
事業者登録番号:T4-2900-0105-7172
〒839-1221 福岡県久留米市田主丸町上原332-3
電話受付:9:00〜12:00/13:00~17:00
(土・日曜・祝日・お盆時期・年末年始を除く)
こちらではびわについて紹介いたします。
露地栽培出来るビワ品種として、今でも「茂木」が主流で栽培されています。100年前に発見された品種が未だ人気なのは、優良品種だからこそです。近年は、病気に強い優良品種「なつたより」や、大実で、糖度の高い品種「麗月」等 新優良品種が誕生しています。更に、びわは葉を利用した、健康茶としても人気ですし、ビワの種にも、薬効作用があることが分かってきました。どうぞ、ビワ栽培を予定されている方、ビワの品種特性をご参考にお選び下さい。
日本におけるビワ栽培の歴史は明らかではないが、ビワが最初に文書にて紹介されたのは、天平宝字6年(762)の正倉院の記録の中。それによると、果実1升あたりの取引値段は「カキ・ミカンが100文、クリが50文、ウメが2文、ビワが0.25文」とあり、ビワ果実の評価が非常に低かった。その後、『三代実録』(901)、『延喜式』(927)等や、江戸時代までの書籍にビワの記載がみられるが、果実小さく、美味しくないためか果樹としては重要視されていなかったようである。
これを変えた大きな功績が茂木枇杷の誕生である。江戸時代末期、天保・弘化(1830~47)頃、南支那から長崎に唐船が枇杷果実を運び長崎代官に献上した。代官屋敷の女中奉公していた長崎県茂木村木場出身の百姓の娘であった三浦シオは、その中国南部のビワが、あまりに味が良く、実も大きかったので、主人(中国語の通訳)からその種を貰い受け、屋敷の庭先にその種を蒔いたのが現在の茂木びわの起源。
その後、在来種のビワより実が大きく、味がいいと評判で、その枝から接ぎ木して栽培する農家が次々と増えた。1粒の種から始まった茂木びわの栽培が本格的に全国に広まるきっかけとなったのは、大正3年東京で開かれた博覧会。出品された茂木びわがすべて入賞した。知名度が上がるにつれ、茂木びわの栽培は拡大。昭和2年、枇杷作付面積で1位だった千葉県を抜き、長崎県が全国一となった。戦後になっても、びわの需要は依然として高く、今より流通事情が悪い中でも、長崎産のびわが東京や大阪方面に出荷された。
販路が広がり、今では茂木、三和地区を中心に長崎県は日本一のビワ生産地になっている。長崎市茂木地区でビワを広め、全国有数の産地にした功績を評価する地元のビワ関係者らは、現在でも三浦シオを愛し、茂木枇杷原木記念碑と何代目かの原木植栽、三浦シオ生家の石碑が建てられた。
戦後の昭和23年頃より苗木を作り始め、80年近く果物の苗木業を営んできました。
NEW!!
2025/09/01
今年も受注開始しました。
カタログが出来上がりました!ご希望の品種はお早目にご注文お願いいたします。在庫の確認・請求書の発送も遅くなりますが、少々お待ちいただけると幸いです。